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初めてわたしがウサギを飼ったのは、小学6年生、つまり12歳の時でした。12月の終わりのことでした。理由は単純で私は動物がとても好きで、いつか飼いたいと思っていたからです。両親も、ウサギは犬や猫などのように鳴かないし、私がウサギの世話をするならという約束の上、それを飼うことを許してくれました。

早速ペットショップで、父とオスの灰色のネザーランドドワーフを買いました。私は彼をいたく気に入りました。彼はまだ幼く、小さい体とふわふわな毛並み、大きな目が魅力的でした。今でも、買った時の帰りの車で、箱に入った子うさぎを膝に乗せながら、興奮しながら彼の名前を考えたことを覚えています。

私が考えた名前は母に反対されて、結局彼の名前は、母が考えた「はる」になりました。

私ははるをリビングで飼うことにしました。家には私の部屋もありました。しかし、当時はリビングで一日の大半を過ごしており、はると少しでも長くいたかったので、リビングにケージを設置することにしたのです。リビングにはテレビもあり、その音がはるにストレスを与えるだろうことは子供の私にも想像できましたが、はるはすぐ慣れてくれるだろうと気楽に考えていました。わたしはこの判断を深く深く後悔しています。

幸運なことに、彼はすぐわたしに懐きました。名前もすぐに覚えた賢い良い子でした。冬休みだったので、わたしは毎日はるのそばでずっと過ごしました。

その後一週間ほどして、はるの体調がおかしくなりました。自分の小屋で丸まって出てこなくなったのです。はるはお腹が痛いようでした。今思うと、リビングの暖房の寒暖差も彼にストレスを与えていたと思います。今なら分かりますが、ウサギはとても繊細な動物です。原因は、環境が大きく変わったストレスなのか、わたしがはるに構いすぎたことか、テレビの音のせいか、温度のせいか、それとも全部なのか、今でもわかりません。

父が次の日ペットショップへ彼を連れて行きました。私はこれも後悔しています。はるの体調が悪くなった日に彼を動物病院に連れて行くべきだったのです。

ペットショップへ連れて行く時、私は習い事があって付き添えませんでした。習い事中に、わたしはなんだかとても嫌な予感がして、涙が止まらなくなりました。残念ながらその予感は的中し、後日はるは亡くなったとペットショップから連絡が来ました。亡骸には会えませんでした。保証期間中だったので、新しいウサギを迎えるか、返金してもらえることになりました。とても新しいウサギを迎える気にはならなかったので、返金してもらいました。私ははるを返してもらいたかったのに、たった数万円のお金が帰ってきたことに深い悲しみと憤りを覚えました。

亡骸を引き取らせてもらえなかったので、わたしははるが使っていた、牧草でできた小屋を庭に埋めて、代わりのお墓にしました。今でも毎年命日に祈りを捧げます。

その後は毎日毎日泣いて過ごしました。何をしていても涙が出て、自分だけ生きているのに罪悪感を覚え、食事も喉を通りませんでした。しかし、父に、「はるはきっとあなたがずっと悲しむことを望んでいないよ」と言われて、少しずつ少しずつ立ち直っていきました。

悲しいことに、はると過ごした楽しく大切な時間の記憶は朧げです。時間が経ったからわたしが忘れてしまったのか?いいえ、はるが亡くなって、深い悲しみのあと、少しずつ立ち直っていくと同時に、はるのことがうまく思い出せなくなったのです。今思うと、自分の心を守るために、記憶に蓋をしたのだと思います。ですが、その時は理由がわからず、自分はなんて薄情な人間なんだと、自分に失望しました。

はるが亡くなった連絡が来たのは、冬のよく晴れた昼のことでした。わたしは今でも同じ状況が揃うと不安になってしまいます。

この文書を書きながら、私はまた泣いています。はるが死んだことによってできた傷を、みないふりをすることで自分を保って生活していますが、根本的には今もまったく治っていないようです。

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