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具体的に書いてしまうので、読みたくないところは読み飛ばして下さいね🙏

初めて飼ったウサギが死んでしまった直後の話です。

私は初潮を迎えました。私は、彼は子供の時に死んでしまったのに、自分だけ大人になっていくことに大きな罪悪感と嫌悪感を覚えました。

また、その一年ほど後に、母方の大おばあちゃんが亡くなりました。わたしは彼女によく面倒を見てもらっていたので、大きな衝撃を感じました。

生まれ持った特性か、思春期と二つの死のショックが重なったせいか分かりませんが、私の性癖は歪みました。性と死がどこかでリンクしてしまったのです。

わたしは性的サディズムを持っています。誰かが痛めつけられていることに対してフェティシズムを抱く性的倒錯です。相手が嫌がっている様子、痛がっている様様子、病気や怪我に苦しんでいる様子など、死に向かっていく姿に興奮します。もちろん、現実で誰かに対してやりたいとは考えていません。そこの区別はしっかりしています。

私はこの性癖を誰にも向けないために、他者に対して性的興奮を覚えないように制御しているのだと思います。私の理性は誰も傷つけることを望んでいないし、やってはダメなことだと強く認識しているからです。

私が自分が恋愛的な感情を抱けないのでは?と疑問に思い始めたのは、高校に入ってからです。友人たちが恋人を作り始めたことが、どうにも信じられませんでした。漫画やアニメにある恋愛というものが、現実にもあることが、よく理解できませんでした。わたしは恋愛ストーリーを楽しむことができます。しかしそれは、魔法が出てくる物語を楽しめるのと同じで、その世界の中だけの暗黙のルールのように感じていました。つまり私は、「恋愛感情」という魔法が現実では使えなかったのです。

私は自分のセクシャリティがわからないまま、社会人になりました。わたしは誰かと肉体関係を持ちたいとは思わなかったものの、人肌恋しさ、誰かにハグをされたい、理解されて大切に扱われたいという思いは募っていきました。ある漫画から、レズビアン風俗というものを知り、試しに行ってみたいと思いました。自分がレズビアンかを確かめられるし、相手が女性なら安心だし、何より人肌恋しさを安全に埋められると考えました。

前の文章でも書いたように、楽しい経験ができました。相手をしてくれた人は、とても優しく、人間として彼女をとても好きになりました。しかし、彼女に対しても私は性的興奮は抱けませんでした。そこで、わたしは自分がアセクシャルである可能性が高いと結論づけました。

社会人になってから初めて付き合った人はとても良い人で、アセクシャルだと打ち明けた上で付き合うことにしました。恋愛感情が抱けなくても、人生を共に生きるパートナーとして良い関係になれるのではと期待しました。結局、私は彼を恋愛的にも人間としても好きになれませんでした。人生のパートナーにも選びませんでした。

彼は私のことを大切にし、たくさん褒めてくれました。それは私にとっても心地よい時間で、やはり恋愛的に好きになれない事には気がついていましたが、付き合う時間を長引かせてしまいました。結果的なそれが彼を傷つける原因になったことを今でも反省しています。

彼は私のことを「理想の彼女」だと言ってくれました。しかし、それは私には居心地が悪いものでした。彼は私ではなく、理想のガールフレンド像を見ながら私と話しているようでした。私にレッテルを貼り、私自身を理解してくれていないように感じました。

結局わたしはそれらのことから、たった一週間ほどで彼と別れる事に決めました。別れを告げた時、彼は泣いていました。わたしは申し訳ないと思う反面、泣くほど好きだったのは、私のことではなく「理想の彼女」を手に入れた自分自身でしょう?と冷たい気持ちになりました。

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